今秋あべのハルカス美術館で開催された展覧会『太陽の塔』を鑑賞した際の様子です。(現在は終了しています)
精巧なジオラマ、模型で再現した失われた地下展示です。見つめていると、この小さな世界を自分が観覧しているようで、当時の素晴らしいインスタレーションを追体験することができました。
地下展示<いのち>
タンパク質やDNAなど〝いのち〟を作る物質が彩る神秘的な空間。中央の受精卵のような造形は、生命の連帯を象徴する〝いのちのうた〟。受精卵のような直径7m、35面の半球スクリーンには、人間から昆虫にいたるさまざまな生命の誕生シーンがマルチイメージで映し出されていました。生命が誕生する前の混沌、神秘を体感することから物語が始まります。
地下展示<ひと>
長い年月を受け継がれたいのち。その進化の過程で〝ひと〟が誕生しました。孤独と歓喜の中で、自然と闘い、自然と溶け合いながら、誇らかに生きた狩猟採集時代の人々。具象的な情景から抽象彫刻までが渾然一体となったインスタレーションをとおして、闘争のドラマが芸術的に描かれました。
地下展示<いのり>
神々の森に迷い込んだような神秘的な〝いのり〟の空間。祭壇中央で儀式を司るのは〝地底の太陽〟でした。世界から集めたというおびただしい数の仮面と神像がつくり出す雰囲気はミステリアスで呪術的。その中に、自ら制作した数々の仮面や彫刻を溶け込ませています。
下の画像〝ノン〟もそのその彫刻の一つで、地下展示〝いのり〟の神像群の中に配置されていました。
ノンとはフランス語でノー。祈りの空間で、何に対してノンを突きつけていたのでしょうか。
「人類は進歩なんかしていない。縄文土器の凄さを見ろ。」
ちなみに縄文土器など〝縄文の美〟に芸術的な価値を見出したのは太郎さんなんですよ。この夏、東京国立博物館で特別展『縄文-一万年の美の鼓動』が開催され話題となっていましたが、今この時代に、太郎さんと縄文の美の評価が改めて高まっているのも必然のように感じます。
地底の太陽 保存用原型
『太陽の塔』には未来を象徴する頂部の〝黄金の顔〟、現在を象徴する正面の〝太陽の顔〟、過去を象徴する〝黒い太陽〟という3つの太陽がありますが、万博開催当時はこの〝地底の太陽が〟4つめの顔として〝いのり〟の祭壇に鎮座していました。
二つの目を大きく見開いた巨大な仮面。当時は左右にコロナを放射し、顔の直径約3m、全長約13mもありました。万博閉幕後に行方不明となり、2018年に復元されました。こちらはその際の原型。この〝地底の太陽〟は原型や模型などの3次元資料が一切残されておらず、わずかな写真から立体化せざるを得なかったとか。まず1/10サイズの原型を制作した後、これを3次元計測して原寸に拡大し、再び検証と調整を行って仕上げたそうです。最初の原型はフィギュアで有名な海洋堂の原型師・木下隆志氏が制作されたそうです。
会場では『太陽の塔』が誕生する少し前、1960年台の呪術的な作品も紹介されていました。
1961年二科会を脱退した岡本太郎は、水を得た魚のように自身の可能性、表現世界を拓いていったといいます。「芸術は呪術である」と言い、画風も大きく変化し、梵字にも似た黒いモチーフが画面を支配するように。
絶筆〈雷人〉
1996年1月7日、84歳の生涯を閉じた岡本太郎さんの絶筆はこの未完の〝雷人〟。「老いるとは、衰えることではない。年とともにますますひらき、ひらききったところでドウと倒れるのが死なんだ。」といつも語っていらしたとか。その言葉通りパワフルでファンキー、ほとばしるパッションに圧倒されます。
「ベラボーでありながら毅然として突っ立っている。 そういうものでありたい。」
「人類の進歩と調和」を謳った万博の中心に、原始的で全く異質な『太陽の塔』を突き立てた太郎さんらしい、人間そして魂の根源を考えさせられるプリミティブな作品ですね。
幸せな住まいづくりのためのささやかな覚書き
―Note Felice―
お読みいただきありがとうございました
インテリア、リフォームのカーサフェリーチェ
(名古屋市名東区)